橋下徹と薬師寺大輔はラグビーで因縁のライバルだった?31年前の北野高校VS伏見工業!あいつ今何してる?

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橋下徹と薬師寺大輔はラグビーで因縁のライバルだった?31年前の北野高校VS伏見工業!あいつ今何してる?

元大阪府知事。市長だった橋下徹氏はラガーマンだった!!

今日のあいつ今何してる?ではゲストに橋下徹氏が出演します!

彼は大阪の名門・北野高校出身。高校3年生で高校ラグビー全国大会に出場を果たすほどの実力でした。

北野高校といえば進学校で有名なので、ラグビーで全国大会となると文武両道の古豪と言われていました。

今回は橋下氏はラグビーの全国大会で1・2回戦とトライを決め、3回戦の相手は強豪・伏見工業…その試合を前に橋下はマスコミのインタビューに対して「3トライ決めますよ」と宣言!

なんだか相手を挑発する発言はこのころから健在だったのですね!

そして、それを聞いたライバルは激怒!試合中「来いコラ!」と息巻き、強烈タックルをお見舞いされたという…そんなライバルと31年ぶりの因縁再会をするそう!!

それでは、橋下徹氏のラガーマン時代を振り返ってみます。

橋下徹氏は小学校時代、小6で170㎝体重65キロの体格で目立っていたらしく、小中学校でのあだなは「おっさん」でした(笑)

中学の時にラグビー部に入部。ラグビーを選んだ理由は、「一番悪そうな部に入ったほうが、安全だと思ったから」(爆)当時からなにかするときはいろいろ考えていたのですね。

そして中学2年生でラグビー部のキャプテンとなりました。当時の顧問は橋下氏のことを、「彼は1日の練習プランではなく、継続的なプランを立てた。そして、なぜその練習が必要なのかを理屈で部員に説明していた。急速にチームが出来上がっていった。」と話している。

そして、高校は北野高校に進学。もちろんラグビー部にはいる。ラグビー部の顧問は、橋下氏について「能力の高さは際立っていたが、まじめに練習する姿勢は感じられず、遅刻も多かった。小さいころからコツコツ努力するのが嫌いだったんでしょう。」と語り、怠慢によってレギュラーを外すと、別人のように猛練習をしたそうです。「追い込まれないとやらないけど、本番では予想外の力を出せる人です。」と語っています。

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伝説の北野高校VS伏見工業高校

1988年の1月1日に花園ラグビー場が沸いた。

1987年度、第67回全国高校ラグビー大会三回戦。

46年ぶりに全国大会出場となった大阪の北野高校と京都の伏見工業。

北野高校は名門進学校で、対するはあの名作のドラマで一躍全国で有名になった「スクール☆ウォーズ」の京都伏見工業高校です。

この対照的な両校の対戦に収容人数を大きく上回る人々が詰めかけ、スタジアムは異様な熱気に包まれました。当時の収容人数の2倍近い2万人以上の観衆を集め、ピッチ上のタッチライン際や通路の屋根の上まで人が溢れたそうです!

試合展開は一進一退。12-12で迎えた終了間際、伏見工業がペナルティーキックを得る。この好機に、超高校級の司令塔と呼ばれたキッカーの薬師寺大輔は軽く蹴って自ら捕球し、全力疾走。ゴールキックだと思い込んだ相手選手全員が背を向けてボールを離れた隙をついて勝ち越しトライをもぎ取り、元日の京阪対決を伏見工業が制しました!!

なんとその時の様子が本にまでなってレポされています。。

この時橋下氏は北野高校のウイング、WTBで、そして今回そのライバルというのは、伏見工業高校の司令塔、薬師寺大輔氏なのではないかと思います!!

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伏見工業高校の司令塔、薬師寺大輔氏とは

この試合のことについて、橋下氏はこう語っています。

伏見工戦は「今でも腹立つから見ない。ビデオをもらったけど」と振り返ります。

観客がタッチライン際にあふれた注目カードで終盤に痛恨のミス!
薬師寺大輔選手のことを「絶対に(ペナルティーゴール=PG=を)蹴ると思った。『黄金の左足』と言われていて」

反則の地点から10メートル離れないといけないが、「集中が切れ、みんな一斉に球に背を向けて下がった」。
虚を突かれた。相手はPGを狙わず、軽く蹴って自らで捕球し、そのままインゴールへ。勝ち越しのトライ(当時は4点)を許した。

球から目を離さないという鉄則は刷り込まれていたはずだった。サポートランという練習がある。球を持った選手の背後を「欽ちゃん走りのように」弧を描きながら回り込んでサポートし続ける。球の動きに意識を徹底させるためだ。「クソ暑い真夏の時、吐きそうなくらい、延々とやった」。なのに……

「仮にサポートランの練習を100倍やったとしても、あのミスは防げなかった。一番肝心な、まさにこの時のためだったのに。だからこそ故意じゃなければ、とがめてもしょうがない。人間はミスをする。完璧じゃないんだと」

そんな橋下氏の今でも苦い思い出を植え付けたのは薬師寺大輔選手でしかないはず。。

薬師寺大輔選手は、詳しいプロフィールは出ていませんが、伏見工業から日本体育大学へ進学、そして神戸製鋼にいきました。

そして、神戸製鋼で5度の日本一を経験しました。

その後2005年の時点では東海C2リーグの浜松大学で教員をしながら監督をしていました。

2年後また薬師寺さんは浜松大学ラグビー部を解任されたので、現在はどうしているかはわかりません。。

しかし、ラグビーに関することをしているとは思いますので番組でそのことについて触れたら追記します。

その薬師寺大輔さんとのご対面があるとのことですが、橋下氏は当時の心境、どう語ってくれるのでしょうね!

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