鈴木康友(元巨人軍スターS)が血液の病気で余命宣告を受けていた!無菌生活を妻が支えた!【爆報フライデー】

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鈴木康友(元巨人軍スターS)が血液の病で余命宣告を受けていた!無菌生活を妻が支えた!【爆報フライデー】

元巨人軍スター選手だったSとは鈴木康友(すずきやすとも)選手!

高校時代は春夏の甲子園に4度出場し、長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツにドラフト指名を受けてプロ入りした鈴木康友選手。

鈴木選手は2017年の夏、突然病魔に襲われました。闘病生活の末、無事に野球界に復帰!

そんな鈴木選手について調べてみました。

鈴木康友

生年月日:1956年7月6日

出身地:奈良県五條市

プロ入り前は天理高等学校の野球部で春夏の甲子園に4度出場。

1977年のドラフト会議では当初大学進学の意思が強いと言われていたため各球団とも上位での指名は見送ったが、5位で読売ジャイアンツが指名。

高卒5位指名ながら、当時の長嶋監督が獲得に自ら出馬して自宅まで出向いて口説き落とすなど、大いに注目され、入団時には異例の一桁の背番号5が与えられます。

西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。主に守備固めとして活躍し、92年に引退。

その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年よりBCリーグ・富山サンダーバーズ初代監督に就任します。

10年~11年は埼玉西武、12年~13年は東北楽天、14年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、徳島インディゴソックスの野手コーチを務めて独立リーグ日本一に輝いた。

18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部コーチに就任。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝は14回、日本一に7度輝いている。

しかし、なんと鈴木選手は2017年に血液の謎の病で余命宣告を受けていたことが明らかに。

夫婦の壮絶な無菌生活とは!?

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鈴木選手を襲った病気とは。。

鈴木選手は2017年の夏ごろ体調の悪さを感じます。当時四国IL・徳島のコーチをしていました。

7月になって久々にグラウンドに出てノックをしたらいつになく息が切れていました。

そういえば朝、ゴミ出しをするのにちょっと歩いただけで『ゼーゼー』と息切れするようにもなっていたりもしていた。家族を四国に呼んで愛媛の松山城を見物に行ったら、そこの階段で周りの爺ちゃん婆ちゃんに追い越されたこともあったので最初は呼吸器系の病気だと思っていたのです。

体調不良に気づいた鈴木は家族の勧めもあり、すぐに病院で検査を受けた。そこで医師には「鈴木さん、よく立っていられますね」と驚かれたという。血液検査の数値は極度の貧血状態を示し、施設の整った大病院で再検査を受けた。そこで血液の難病「骨髄異形成症候群」と診断された。

「骨髄異形成症候群」とは、造血幹細胞の異常によっておこる病気で、具体的には造血幹細胞が成熟した血球に順調に成長できなくなり、結果として白血球減少、貧血、血小板減少が起こります。

医師には「血液を作る造血幹細胞の移植が成功しても治るのは4~5割」といわれます。

当時、鈴木がコーチを務めていた徳島は前期優勝を果たし、後期終了後は香川とのリーグチャンピオンシップ(CS)が控えていた。それに勝てばBCリーグとの独立リーグ日本一決定戦・グランドチャンピオンシップもある。大病を抱えた鈴木は病院で輸血を受け、徳島のベンチで戦況を見守っていた。

このころの心境を鈴木選手はこう語っています。

「17年から徳島のコーチに就任して、まずは何が何でも前期優勝を目標にしていました。前期を勝てば、後期はCSを見据えていろいろな選手や戦術を試すことができますから。予定通り前期を勝ち、あとはCS、そしてグラチャン。日本一は大きな目標でしたから休むわけにはいきません。幸いというと変ですが、輸血をすれば体は元気に動くようになるから、ずっとチームと一緒にいられました。日本一を果たしたあとは、アイランドリーグ選抜と一緒に宮崎のフェニックスリーグにも参加しました。周囲は休んだ方がいいと心配してくれましたが、どうしても行きたかった。フェニックスリーグの開催地は宮崎で、巨人時代から縁のある場所ですからね。頭の片隅に『もう、死ぬかもしれない』との思いがあったから、絶対に行きたかったんですよ」

奥様が支えた生活とその後は次ページ↓

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