竹石尚人(青学)が箱根駅伝で失速した理由を原晋監督が聞く!【あの人が聞きたい究極の質問】
青学(青山学院大学)の箱根駅伝を支える原晋監督
箱根駅伝はお正月になる「わー、あんなに走ってみたいな~」と、こたつに寝転がりながら見る日本人の風物詩の1つになっていると思います。
私も毎年見るのが大好きで、今年はどんな選手がどんなミラクルを起こしてくれるのかとワクワクしています。
そんな箱根駅伝ですが、今年はなかなか波乱なレースでした。
2015年から箱根駅伝を2連破するほど強くなった青山学院大学が最近は目玉で、だれもが青学の優勝を期待していたでしょうし、誰よりも青学陸上部の原晋監督がそれを信じて疑わなかったはず。
2004年に原監督が就任したのが転機で青学の陸上部が変わることになったといっても過言ではありません。
原監督もまた陸上の長距離選手として活躍していました。実業団創設のタイミングで入社した中国電力。故障に悩まされて5年で引退しましたが、営業が優秀なサラリーマンとなっていました。
そんな時陸上部監督の話が舞い込む。
自身は箱根駅伝の出場経験はないけれど、「優秀な営業マン」としての手腕を活かして母校の世羅高校や中京大の関連校とパイプを利用しながら優秀な生徒を集めることをしていきました。
33年ぶりの出場となった85回の大会は最下位でしたが、翌年はいきなり8位に。
ここで連続シード権を獲得し箱根駅伝で名前をあげだし、そこから優秀な生徒の獲得につなげました。
1990年代後半から長く続く黄金期は駒沢大が築きましたが、2000年代は東洋大学が急成長し、それを青学が抑えてきました。
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第95回東京箱根間往復大学駅伝で起こった悲劇
もちろん今年2019年の1月に行われた駅伝も、原晋監督はやる気満々で優勝候補確実とまで言われていました。
しかし、結果は東海大が46回目の出場にして初の総合優勝となりました。
盤石の戦力を誇り5連覇と史上初の「2度目の学生駅伝3冠」をほぼ手中に収めていたはずでしたが。。
やはり勝負の世界というのは最後までわからないものです。。
原監督は「エントリーしたメンバー16人全員が走れる状態で誰を選ぶか困るくらい」とごうごしていました。
いったい何が起こったのでしょう。
3区までは予定通り。4区(の岩見)が誤算。低体温症(になった)との報告。
スタート前の異変か。プレッシャーがあったのか。(5区の竹石も)体が動かなかった」
昨年11月下旬に左股関節を痛めて1カ月近くトレーニングできなかった主将・森田が、3区で区間記録の快走で首位を奪取。
波に乗りたいところだったが、3大駅伝初出場の4区・岩見秀哉(2年)が東洋大・相沢に2キロすぎで抜かれる。原監督が「新・山の神」に期待した昨年5区で区間5位の竹石尚人(3年)も山上りでタイムを伸ばせず。「3代目・山の神」こと神野大地(25)=セルソース=を中心に、山を制圧した圧倒的な強さはなかった。
厚い選手層を誇り、復路にも6区の小野田勇次(4年)、7区の林奎介(4年)と強力な布陣を敷くが、5分以上の差は大きい。
8区を、予定している飯田貴之(1年)に代えて鈴木塁人(たかと、3年)にするか「一晩悩む」という監督。
「(トップから)2分差以内で9区に来れば面白いことが起きるかも。歴史に残る大逆転をしよう」。監督就任15年目、5連覇など「5」にまつわるエピソードから、スローガンに「ゴーゴー大作戦」を掲げた原監督。
平成最後の伝説を書き上げるつもりだったが、準優勝と終わってしまった。。
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竹石選手の謎の失速
そんな悔しさの中5か月がたち、自分のレースをみることが出来なかったが、こんかい竹石選手が失速の理由を明らかに。。
その理由はなんと!!
小学生の遠足前日理論で。。
前日わくわくして眠れなかったということだったのです!!
夜中眠れない間が箱根駅伝だったということで、プレッシャーに感じたというわけではなかったとのこと。。
そして、来年の箱根に向けてがんばると誓ったのです!