福浦孝二(大分舞鶴)がユーミンのノーサイドのモデル?その伝説の試合とは!衝撃のあの人に会ってみた!

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福浦孝二(大分舞鶴)がユーミンのノーサイドのモデル?その伝説の試合とは!衝撃のあの人に会ってみた!

ユーミンの名曲「ノーサイド」にはモデルがいた!!

ユーミン世代の私は、「ノーサイド」といえば、ラグビー用語だというのはこの曲で知るようになりました。

まずは名曲「ノーサイド」の歌詞。。

彼は眼を閉じて 枯れた芝生の匂い

深く吸った

長いリーグ戦しめくくるキックは

ゴールをそれた

肩を落として 土をはらった

緩やかな 冬の日の黄昏に

彼はもう二度と かぐことのない風

深く吸った

うーん、歌詞見ただけで歌える(笑)

ラグビーを直接見たことがないのに、この歌詞を聞いただけでその情景が浮かんでくるというくらいですから、やっぱりユーミンて、天才ですよね。

それで、この歌にはなんとモデルになった試合と人物がいるということで、今日の衝撃のあの人に会ってみたで紹介されます。

しかし、最後に衝撃の事実が発覚です!

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1984年度第63回全国高校ラグビー大会

ノーサイドのモデルになったのは、1984年の第63回全国高校ラグビー大会の決勝戦でのこんな場面からです。

「伝説の一戦」といわれ、1984年1月7日に行われた決勝。奈良の天理高校対大分舞鶴戦。

この試合は後半のロスタイムに入り大分舞鶴がトライを決めれば同点で両校優勝となるゴールキックを主将のFB福浦孝二選手が左に外し、その直後ノーサイドの笛が鳴ったというものです。

当時はトライ4点(93年から5点)ゴールキックを決めれば2点が加点されるので、同点になって、両校優勝!ということになるはずでした。

しかし、このキックをはずしてしまって、そのあとは予想もしないくらいの静けさに包まれたそうです。

この試合の様子をユーミンは歌詞にしたためたのですね。

と、思っていましたが。。。

しかし、放送されあたとに、衝撃に事実が発覚!!
なんと、ユーミンのノーサイドは、この試合以前につくられていたのです!!

ユーミンの歌詞とゲームがどこかでマッチしてリンクしてしまってこの話がうまれたのですね!

ラグビーというと本当に過酷なスポーツ。大会のために苦しい努力もいとわない学生たち。。

ここまで登り詰めたものがこのキックで決まってしまったという。。。

そういうことはよく起こりうることなのですね。。

あれから35年。。

高校生だった福浦孝二選手はどうしているのでしょうか。。

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福浦孝二さんは今。。。

福浦さんは現在、大分南高校で体育の教諭になっています!

そして、あの天理高校と大分舞鶴高校は今でも交流試合をしているというのです!!

そして、当時の選手同士の試合なんかも過去に行ったりして交流しているそうです。。

いやいや、ほんとにスポーツで青春を送るっていいですね!

今もなおその時代のことを思い出して懐かしくいい友として付き合えるのですよね!!

今年はラグビーのワールドカップが日本で行われます!

ラガーマンたち、がんばってほしいですね!

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