学研のおばちゃん!の科学と学習は中川浩編集長が考案した付録でめちゃ売れた!【アンビリバボー】
学研の中川浩さん
今日は奇跡のアンビリバボーで、学研の編集長だった中川さんという方が特集されるそうです。
なつかし~~~!!学研の付録なつかし~!!
↑これ、アリを研究するセット!!持ってたーー!!(笑)
そのほか、私は持ってなかったけど、解剖セットとかもってる男子、うらやましくてーー!!
1970年80年90年生まれの人たちはわりとなつかしーー!なんじゃないですか?
いわゆる昭和の団塊ジュニア!!
私なんかはドンピシャその時代で学研めちゃくちゃ買ってたーー!!
もう、理科なんかぜんぜんわからなかったけど、とにかく学研の付録の実験セットは大好きでした。
TV CMで「学研のおばちゃん♪」って流れるとなんだかワクワクしたものでした。
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学研の「科学」と「学習」
昔はインターネットなんかなかったので、いろいろな情報を得るのがテレビや雑誌が主流。
そして、小学校の時にテレビのCMでみてすごくほしかったのが、学研の「科学と学習」という子供向けのお勉強雑誌。
これがめちゃくちゃほしかった!!
科学と学習という名前の雑誌ではなくて、「〇年の科学」「〇年の学習」という名前でした。
学研の科学と学習というのは学習研究社が出していた小学生向けの学習雑誌です。
学研の学習雑誌といえば、通常の雑誌とは異なり書店売りをしていませんでした。
学習研究社が起業した当時は新しい雑誌を取次してくれるところがなかったため、別ルートで販売をすることになりました。
まずは、学習研究社の創業者古岡秀人氏は、戦後の公職追放で教育界を追放になった元校長や教諭に協力を求め、そのつてで学校で学研の雑誌を販売できるようにしたとのことです。
この直販体制で雑誌は売れていきます。
1957年に理系分野の教育の需要が高まり、「小学生の楽しい科学」が創刊されます。こちらは書店で扱ってもらえますが、販売不振が続き、「科学の教室」などと名前を変えたりしましたが、休刊となります。
おそらく、このころに学習研究社で、この子供向け学習雑誌の部署で新編集長に抜擢されたのが、中川浩さんなのです。
最初は売れ行きが伸びず、特に「学習」のほうはなんとか売れても「科学」のほうは理科だけしか扱ってないのと、当時は科学への関心がうすかったことから売り上げは低迷していました。
そして、中川さんが試行錯誤しながら付録という方法を思いつき、紆余曲折ある中発売にこぎつけまして1963年くらいから付録が付き始めます。
そして売れ行きも伸び始めますが、1971年の消費者基本法制定で、特定企業の製品を学校で販売することはできなくなりました。
そこで学校や家庭への訪問販売制度に移行し、この訪問販売をする人を学研は、「学研コンパニオン」として、派遣させたのです。
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学研のおばちゃん♪
この「学研コンパニオン」がCMでは
「まだかなまだかな~♪学研のおばちゃんまだかな~♪」
こちらは1997年くらいのCMですが、1970年のころからこの歌はあったように思います。
おばちゃんたちが訪問販売で毎月とどけてくれるというシステムでした。
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おばちゃんいつからいなくなった?
全盛期は700万部も売れたという「学研と科学」
2000年に入ると、子供の学習は、進研ゼミのような添削型や学習塾が主流になって、
自分で考えながらやるというよりは与えられる至れり尽くせりのような学習スタイルが普及して、学研のようなスタイルは流行らなくなってしまい、2010年の冬号で「学習」は休刊。2010年の3月には「科学」が休刊。
そして、この「科学」を使って勉強した子供たちが、こんな風にすごい科学者に!
こちらの方はノーベル賞まで!!
中川浩編集長たちがまいた種が開花したんですね!!
感動!!
学習研究社、これからも、次の世代を担う子供たちに新しくいい教材をよろしくお願いします!!
コメント
学研の中川さん、ありがとうございました。
アンビリーバボーを拝見させていただき、私の仕事はまさしく
中川さん(総じて学研さん)が居られたらこそ成り得たのだと気づかさせて頂きました。
付録付き科学雑誌に胸ときめいたらこそ、おまけレンズから仕事は光学業界へ、やがては、草創期(70年代)のコンピューターを夜間専門学校で勉強しプログラマー・SE・SA、と各業界(流通・金融・メーカー)で40年間、爪痕を残す事ができました。
当番組を見させていただいた後も、興奮が冷めやらず、コメントさせて頂いた次第です。
重ねて、関係者の皆様、ありがとうございました。