志村亮は古田敦也と長嶋一茂が打てなかった天才投手で8球団のドラフト拒否。今は?【消えた天才】
古田敦也と長嶋一茂といえば
古田敦也さんといえば、ID野球の申し子と呼ばれた名捕手。2015年には野球殿堂入りしています。
そして長嶋一茂さんは、今や名タレント。。。いや、偉大過ぎる父を持った2世ではあるが実は努力と実力で彼の野球人生を歩んできたある意味天才。
古田選手と同じヤクルトスワローズに入団しながら、野村監督のID野球にまったく馴染めなかったにもかかわらず次の年にはチーム新記録の12連勝に貢献。など、とにかくあらゆる面で輝くスター選手でした。
二人とも中学高校時代はほとんど無名の選手でしたが、古田選手は立命館大学時代3年時にチームをリーグ春秋連続優勝に導き、4年時にはキャプテンを務める。
そして、大学野球日本代表のメンバーに選出される。
一茂選手は立教大1年時からレギュラーとしてチームを支え、4年時には2期連続ベストナインに選出されます。
そして大学野球を牽引してきた二人はともにプロ野球入りを果たします。
そんな二人が声をそろえて、「打てなかった」「頭抜けていた」「打った記憶がない」とその才能を絶賛。
そんな天才がいたのに、なんとその天才はプロ8球団の誘いを断り、大学卒業後あっさり一般企業に就職してしまったのです。。
そんな「消えた天才」は誰なのか。。
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志村亮選手が8球団の誘いを断った「消えた天才」
その消えた天才とは志村亮さん。
志村亮
生年月日:1966年8月3日
出身地:神奈川県
出身校:桐蔭学園高校 慶応義塾大学
桐蔭学園の時代に2年生の時は控え投手で出場。3年の時は神奈川県大会決勝で延長14回の末に一塁への牽制球で最後のアウトをとり、優勝を決め甲子園へ。
甲子園で好投手として注目を浴び、卒業後は慶應義塾大学に進学。
1年生で立教大との春季開幕戦で先発し完封で56年ぶりとなる新人の初登板勝利を記録。同年の秋季リーグには慶大26季ぶりの優勝に貢献してベストナインに選ばれている。
1988年の日米大学野球の代表にも選ばれています。
53イニング連続無失点記録、5試合連続完封勝利記録という6大学ではいまだに破られていない不滅の記録を樹立。
そしてそんな好成績の投手に注目が集まらないわけがなく、当時のドラフトで1位候補となり、8球団が獲得に名乗りをあげました。
しかし、ドラフトをまえに記者会見で「プロにはいかない。やめることに未練もない」と自らプロ入りを拒否。
野球界をゆるがす大騒動となった。
バブル絶頂期だった当時のドラフト1位の契約相場金は約8千万円ほどでしたが、記者に「金額ではない」と前置きしたにもかかわらず、「1億でもNO」と書かれて世間を騒がせました。
そして、彼が選んだ就職先は初任給16万円の一般企業のサラリーマン。
しかも、野球部のない企業。
その後「巨人密約説」「逆玉の輿説」など流れたが、その疑惑も残したまま天才はそのまま消えてしまいました。。
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消えた天才志村亮さんは今
「幻のドラフト1位」と呼ばれていた志村さんは今、ビジネススーツに身を包み営業マンとして30年以上のキャリアを重ねていました。
彼は三井不動産に就職していたのです。
現在は不動産業で、「ロジスティック本部 ロジスティック営業部」にいらっしゃるよう。物流のお仕事に携わっておられるのですね。
インターネット通販などで成長する市場のニーズにこたえるため、全国に中継拠点となる物流施設を整備する一大プロジェクトにグループ長として関わっています。
そして野球のほうはと言いますと、得先の物流業界には日本通運や西濃運輸など都市対抗大会で活躍する硬式野球部もあるので、野球つながりのネットワークがひろがっているのだとか。
自身は、大学卒業後も技術指導員として大学野球部での指導を行ったり、三井グループ内の軟式野球大会に参加したり。趣味で野球は続けているようです。
硬式ではクラブチームのWIEN’94の設立当時から投手として活躍。2008年から2010年までは監督としても努めています。
現在は少年野球チーム品濃ヴィクトリーの代表兼監督。
そんな野球活動は続けておられるよう。
TBSの「消えた天才」では、30年ぶりに長嶋一茂さんが彼に実際にあってインタビューするそう。
どんな再開になるか楽しみですね!