梶光夫は西郷輝彦とライバルでアイドル引退後ジュエリーデザイナーで大儲け!超セレブに【爆報フライデー】
梶光夫さんというアイドルがいた!
その昔、梶光夫さんというアイドルがいたそうです。西郷輝彦さんとライバルだったとか!
西郷輝彦さんもアイドルだったということは知らなかったけど、存在くらいは知っていましたが、梶光夫さんとは。。。
その梶光男さんがアイドルをやめて今は別の事業で大儲けしているということで、ちょっと気になって調べてみました!
今夜の爆報フライデーで取り上げられるみたいですよ!
爆報フライデーより抜粋!
御三家の西郷輝彦とライバル関係だった梶光夫は今… 超高級外車や自分のビルを持つ超セレブに! アイドル引退後、??に転身し大儲けしていた
それでは、まず梶光夫さんがどんな方だったのか、チェキラーー!
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梶光夫さんのwiki風プロフィール
梶光夫(かじみつお)
本名:梶芳道
生年月日:1944年9月9日
出身地:大阪府大阪市出身
1963年12月に舟木一夫の後輩としてデビューしました。
デビュー曲は「黒髪」だったそうですが、3作目となる「青春の城下町」が大ヒットしました。
その後も高田美和とのデュエット曲「わが愛を星に祈りて」「アキとマキ」のヒットは二人で歌う青春純愛路線作品のきっかけとなって、注目を集めていったのです。
多くのグラビアも飾り、テレビだけでなく映画の仕事なんかもやっていたそうです。
なかなかな売れっ子だったのですが、実は梶さん、さっさとアイドル業をやめて転職してしまうのですよね。
梶さんの実家は宝石商で、大阪で時計宝石、貴金属を扱う「スイス時計店」を営んでおられました。
梶さんが長男だったので、実家を継いでほしいという思いがあり、芸能界入りするのを反対されていたようですが、5年でやめると約束をしていたそうです。
しかし、その5年という短い期間で爆発的に売れるってなかなかないことですから、梶さんてよっぽど強運の持ち主なんでしょうね。
芸能人にすらなりたくてもなれない人いっぱいいるのに!!
このような派手な感じの作品が特徴です。
そして、梶さんはその約束を守って芸能界を引退され、それからジュエリーデザイナーや宝石鑑定師として活躍されているのです。
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梶さんのジュエリーデザイナーとしての成功
1970年に芸能界を引退された梶さんですが、なんと1971年に第1回インターナショナルパールデザインコンテストにてグランプリと銀賞をダブル受賞されます。
え?芸能界でてんてこまいやったのに、次の年にすでに実績だすってどういうこと?
もう、才能の塊でしかない!!
そして翌年の1972ねんにはアメリカG.I.A(米国宝石学会)に留学。
宝石ガクトジュエリーデザインについて学び、国際的な宝石の資格G.G.(グラジュエイト
ジェモロジスト)の称号を取得します。
その後ジュエリーデザイナーと宝石鑑定師で活動され、今も第一線で活躍しています。
そして、息子さんも一緒にお仕事をされているようです。
わあ、品のいい親子!!
息子さんとは定期的に「梶光夫&梶武史プレミアムジュエリーパーティー」と銘打った展示会とパーティーが行われています。
業績は順調に伸び、アンティークジュエリーコレクターとしても、名を成して現在に至っています。
この写真は、梶さんがジュエリー創作活動30周年、歌手デビュー50周年。そして、45年ぶりに新曲を出したときのものです。
その新曲にちなんで17億円相当の最高級ダイヤモンドジュエリーを制作。
2012年ミスユニバース・ジャパンの原綾子さんにつけてもらって、披露したというものです。
芸能界は5年しかいなかったけど、その時代は青春だったと語る梶さん。
こうやって、芸能界でもそのあとの転職でジュエリーデザイナーでもどちらも成功してる素晴らしいお方でした!!