的場文男は大井の帝王で競馬騎手で日本一の通算勝利数を挙げた現役!兄との絆とは?【笑ってこらえて】

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的場文男騎手は大井の帝王で競馬界で日本一の通算勝利数を挙げた現役!兄との絆とは?【笑ってこらえて】

現在現役、的場文男騎手!まずはプロフィール!

みなさん、競馬はお好きですか?(笑)

私はお馬さんをみるのも、レースもそしてレースを買うのも好きですよ!(笑)

今日は笑ってこらえてで、「大井の帝王」と呼ばれる名騎手、的場文男騎手が紹介されます。

なかなか男気があってそれでいてファンキーな方なので、是非チェックしてください!!

まずはプロフィールからご紹介!

出典:https://www.tokyocitykeiba.com

的場文男

生年月日:1956年9月7日

出身:福岡県大川市

職業:騎手 (東京都騎手会)

佐賀競馬の元調教師の的場信弘さんはお兄さんにあたる。

的場騎手の父は馬を使った運送業をしており、家で馬を飼っていた時期もありました。

的場騎手は7人きょうだいの末っ子で、すぐ上のお兄さんは佐賀競馬場の騎手になり、事業に成功した父は競走馬を所有するようになっていました。

小さいときから競馬場に出入りしていた的場騎手は、小学校低学年のころには騎手に憧れるようになりました。

初めて馬に乗ったのも小学生のときで佐賀競馬場の走路で、こっそり乗ったこともあったといいます。(笑)

中学生のとき、騎手になる準備をするため父とともに上京し、大井の調教師、小暮嘉久に見いだされて弟子入りすることに。

4つ上のお兄さんが佐賀競馬でやっていたのですが、「2人して佐賀におらんでよか。どうせ乗るなら東京に行きなさい」ということで、上京。

浦和競馬に行くが、帰りに寄ったのが大井の小暮厩舎。この時に挨拶した小暮先生が、的場騎手を見て、「お前はちっちゃいけど筋肉が最高にいい!浦和に行かずにうちで乗れ!」といってくださったのが、運命の分かれ道だったといいます。

あのときのスカウトがなかったら、今頃「浦和の的場だった」と語ります(笑)

すぐに転向して東京に行きますが、最初は朝早く攻め馬して、学校に行くと眠くてたまらなかったと。小さくて坊主だから友達にバカにされたけど、へこまないで「一番になる」とがんばりました。

的場騎手:右

やっぱり偉業を成す方は幼いころから精神がすごい!!

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そして的場文男騎手誕生!

17歳になった’73年秋にデビューし、’77年に重賞初制覇。27歳になった’83年、129勝を挙げ、初めて大井リーディングの座につきます。それを含め、大井で21回(’83、’85~2004年)、全国では2回(’02、’03年)リーディングジョッキーになっています。

天性のスタート技術でスムーズに先行し、直線では魂のこもった激しいアクションで馬を動かし、勝ち鞍を重ねていきます。
今でこそ、大井、浦和、川崎、船橋の南関東4場で毎日のように騎乗しているが、40歳近くになるまでは、大井以外ではほとんど乗らなかったといいます。

本人としては「大井であれだけ勝っていれば満足だった」という。「おれは大井の的場文男だ」というアイデンティティを、「帝王」は持ちつづけていたのだ。

中央への移籍もまったく考えたことがなかったようです。

地方の騎手として、初めてJRAに移籍したのは安藤勝己騎手でした。43歳になった’03年のこと、
「おれはもう年だったからね」と言った的場は、安藤騎手が移籍した’03年、47歳になった。「自分は大井の的場のままでよかった」という諦めや悔しさに似た思いではなく、「自分は大井の的場のままがよかった」という、揺るがぬ矜持で語ります!

そうした一徹な姿勢や、いかにも勝負師といった風貌から、気難しそうなイメージを抱く人は多いかもしれない。誰に対しても丁寧に接する、親しみやすい紳士です。

怖そうなのに優しく、頑固そうなのに柔軟で、豪快でありながら細やかに気を使う。
こういうキャラクターだから、騎手仲間からも、厩舎関係者からも、主催者からも、マスコミからも、そしてもちろんファンからも、徹底的に愛されている。
的場文男騎手は、誰にも似ていない、唯一無二の存在なのです。

すごいエピソードといえば。。
’05年、レース中に落馬した前の馬の脚が顎に当たり、上の前歯がのこぎり状に折れ、下の前歯が顎の骨ごと砕かれる重傷を負った。上の前歯の折れ方が珍しかったため、折れた9本の歯は、今も標本として大学病院に保管されているという!

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「大井の帝王」と呼ばれる所以!!

「大井の帝王」と呼ばれる名騎手が、半世紀近く主戦場としてきたホームグラウンドで、ついに「鉄人」を超える!

東京・大井競馬場で8月12日、大井競馬第5レースを1番人気のシルヴェーヌで優勝。

佐々木竹見騎手が保持し、「不滅」と言われた地方競馬最多勝記録を17年ぶりに更新する7152勝目をマークした。

「お待たせして申し訳ありませんでした。ファンの方々、厩舎関係者、マスコミ関係者といったみなさんのおかげで日本一になれました。喜びと感謝の気持ちで一杯です」とあいさつ!!

モットーは「努力、根性、一生懸命」。5000勝や6000勝などの節目や、今回の最多勝記録更新といった明確な目標があったから、いくつになっても高いモチベーションを維持できたのだという。
「自分が日本一になったら、次は何を目標にしたらいいのかな」と笑っていた彼は、ひと鞍乗るたびに最多騎乗記録を、ひと鞍勝つたびに最多勝記録を更新することになる。

彼の最多勝記録は、おそらく不滅になる。今後、彼を上回るペースで勝つような天才騎手が現れたとしても、途中でJRAに移籍して、勝ち鞍が少なくなると思われるからです。
自身がすべての騎手の先頭を走るようになった今、何を見据えているのか。
「最も勝ちたいレース」と公言しながら、37回騎乗して未勝利、2着が10回もある東京ダービーの制覇も、当然目標になるでしょう。

「先は短いかもしれませんが、ひとつひとつ大事に乗っていきます」
いつごろ引退するかも、引退後に何をするかも、まったく考えたことがないという。
生涯一騎手の的場文男騎手の伝説は、これからもつづきます!!

笑ってこらえてのオンエアーも楽しみですね!!

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