芳村真理の夫(旦那)大伴昭(実業家)の介護は認知症。田原俊彦号泣の爆報フライデー
芳村真理さんといえばモデルからの名司会者
今日の爆報フライデーでは70年代から90年代前半芸能界をモデル、名司会者として駆け抜けた芳村真理さんについて放送されます。
真理さんの夫で世界的実業家だった大伴昭さんの10年に及ぶ認知症の介護の初告白ということです。
まず芳村真理さんですが、20代30代の若い年代の方々にはもしかしたらあまり馴染みのない方かもしれないのでご紹介!!
芳村真理
本名:大伴稲(おおともいね)旧姓:吉村
生年月日:1935年4月3日
出身地:東京
まずは真理さんのストーリーから。
真理さんは高校時代、ストッキングの販売員のアルバイトをしていました。
後にモデルやグラビア誌を飾るような容姿だったこともあり、ストッキングを履いての実演販売で、ストッキングは瞬く間に売れてしまい、その噂は「高島屋」や「銀座松屋」まどの有名デパートに広まり真理さんの争奪戦になるほどだったそうです。
そして真理さんは銀座の山野美容会館にあった最古参のモデルクラブ(FMG)に所属し、1950年代後半には人気ファッションモデルとして雑誌やグラビアの仕事をしていました。
そのモデル時代に「ザ・ヒットパレード」という番組で初めて司会を担当することとなりました。
この時に総合司会だったのがミッキー・カーチスさんだったので、これがきっかけで真理さんはミッキーさんと最初のご結婚をされたようです。
そして、長男を授かるもその後離婚。
そして、1968年にこのあと一生を共にする旦那様、大伴昭さんとご結婚されるのです。
同じく1968年には「夜のヒットスタジオ」というフジテレビの人気歌謡番組の司会者に抜擢されます。
この「夜のヒットスタジオ」は1968年から1990年まで22年間放送された長寿番組で昭和の歌謡界を牽引してきたといっても過言ではないほど素晴らしい番組でした。
もともとの司会は前田武彦さんと芳村真理さんでしたが、ここから三波伸介さん、井上順さん、古舘伊知郎さんと男性司会者が後退する中、真理さんは1988年の1000回目までを担当。
女性でメインをはれる司会者としてテレビ界に歴史を残しました。
私はバリバリ井上順さんとのコンビの時に見ていた派ですが、この二人の掛け合いがなんとも自然で面白くて、大好きな番組でした。
毎回真理さんの奇抜でありながらハイセンスなファッションも見どころで、本当に輝いていて素敵な女性です。
出演者からの絶大なる信頼もあり、新人歌手の緊張をほぐす精神的な支柱とまで言われていたようです。
こんな、容姿も端麗で仕事もできる真理さんの旦那様ってどんな方だったんでしょうね。
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真理さんのご主人は大伴昭氏
大伴昭 氏
真理さんの2度目の夫の大伴昭さんですが、あまりプロフィールは公表されていないようです。
しかし、2018年に89歳で他界されたということで、1929年ころにお生まれになったのではないでしょうか。
真理さんとは1968年にご結婚されています。当時の日本コカ・コーラや海外企業の日本現地法人設立に携わっていたり、日本ポラロイド、キャノン取締役、カルティエ・ジャパンの社長を歴任されるなど、スーパー実業家とはこの方のためにある言葉ではないかと思うほどのセレブです。
交友関係も、それはかなりゴージャスで、歌手のフランクシナトラ、ジャズピアニストのナット・キング・コール、そしてアメリカの元国務長官キッシンジャーなどと政財界のあらゆるセレブリティーと交流されていたというほどです。
真理さんはそんなご主人の妻としてかなり上級の立ち居振る舞いなど要求されたことと思います。
そんなご主人が、なんと「遺伝性のアルツハイマー」を患ってしまい、真理さんは介護生活を余儀なくされるのでした。
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爆報フライデーの司会、田原俊彦が号泣。。
歌手・田原俊彦、としちゃんにとっても芳村真理さんは特別な存在ではなかったでしょうか。
としちゃんは1980年代スーパーアイドルとして君臨していたので、当然芳村真理さんとの共演なども多く、かわいがってもらった存在でもあったはずです。
真理さんもとしちゃんのことは「芸能界での息子」と語っているそうです。
そして、番組では大伴昭氏がアルツハイマーになった経緯やその後の介護について真理さんが語られるというのです。
そして、田原俊彦が涙の告白。。。
いったいどんなことが語られるのか、オンエアー後にまた追記しますね!!