徳野和彦は山下泰裕が2世と認めた天才!全日本王者がオリンピックはでれず引退!真相は?【消えた天才】
柔道界の重鎮・山下泰裕会長
全日本柔道連盟の会長を務める山下泰裕会長。
彼のレジェンド伝説は今更語ることないほど有名で素晴らしい方です。
この度6月27日に日本オリンピック委員会(JOC)の新会長にも就任。
来年の東京オリンピックを引っ張っていくのにふさわしい方です。
山下泰裕
生年月日:1957年6月1日
出身地:熊本県
身長:180cm 体重:128キロ
引退:1985年6月17日
彼の戦歴は、引退から逆算して203連勝(引き分け含む)
また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。
1984年にはアマチュアスポーツ初の国民栄誉賞を受賞しています。
このように輝かしい戦歴、そして素晴らしい人格をもった山下泰裕会長が、
「山下2世」と認め、「私の後継者だ!」といわしめた天才がいたのです。
しかし、その天才は全日本王者にもかかわらず、オリンピックも出場することなく引退してしまったといいます。。
その天才とは誰なのか。。。
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山下泰裕会長が2世だと認めた天才は「徳野和彦」ではないか?
山下会長が2世だと認め、「後継者」だ!といった人物についての話はあまり聞いたことがないと思います。
初めは山下2世といえば、「斎藤仁選手」を思い浮かべましたが、斎藤選手はオリンピックには出場しているので違います。
柔道選手というと、どうしてもオリンピックに出るような選手しかわからないのです。
オリンピックに出ていない柔道選手は山ほどいますから、どのように探そうかなあと思っていました。
当然「山下2世」というからには山下選手の後輩で、そして全日本では王者になっていて。。
そこで、オリンピック選手に負けたことのある人で全日本の王者で探してみました。
柔道で思い浮かぶ有名な方はたくさんいるので有名な選手のライバルをしらみつぶしに探したら、この選手が浮かびました!
徳野和彦選手
徳野和彦選手の名前は、柔道によほど詳しい人しかあまり知られていない選手かもしれません。
実は徳野和彦選手のライバルは、あのオリンピック3冠を制した野村忠宏選手です。
野村選手は、アトランタオリンピック選考会で本命視されていた徳野選手を破ったのです。
野村選手は実はインターハイの時に徳野選手に苦杯をなめさせられた選手なのです。
ということは、野村選手と同格ぐらいの技量の選手だということで、消えた天才に当てはまるのではと、調べてみました。
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徳野和彦選手のプロフィール
徳野和彦
生年月日:1974年5月1日
出身:愛媛県
現役時の階級:60kg級
現在はコマツ女子柔道部の助監督
高校時代(新田高等学校)はインターハイ2位止まりでしたが、東海大学に入学後1年生で早くも学生体重別に優勝。
その後着実に力をつけアトランタオリンピックにも代表の候補までいくが代表までに至らず。
戦績は1991年インターハイ2位
1993年1995年1996年全日本学生柔道別選手権大会で合計3度の優勝をしています。
全日本の大会を制しているのに、オリンピック代表選考の大会はすべて野村選手に負けて、一度もオリンピックを経験していません。
いつもは強いのにこういうことってあるのだなあと思わせるエピソードです。
彼が引退した理由はわかっていないので、もし山下会長の言う天才が徳野選手ならその秘密が明らかになりますよね!
東海大学卒で山下泰裕会長の後輩、全日本制覇、オリンピック出場なし!
徳野和彦選手!
これでどうだ!!
もしこれで間違っていたらごめりんちょ!!(笑)