日本人女性なのにマリ共和国で慕われ愛される理由は
マリ共和国とは
マリ共和国という国の名前はあまり聞いたことがないですが、西アフリカの内陸国です。西をモータリア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニアに囲まれている国土は日本の3.3倍。
ニジェール川をはさんでサハラ砂漠が国土の2/3、サヘル地域が1/3を占めています。
地球温暖化により年間降雨量の減少、土壌の劣化等による砂漠化の現象、イナゴの異常発生の被害により常に飢饉に脅かされています。
世界最貧国の1つで、世銀、IMF指導の市場経済化、構造調整政策によって都市と農村の格差が拡大しています。
人口は16300万人で、その80%が住む農村では年間降雨量の減少で農業生産高も減少、収入を求めての海外出稼ぎ者が増えています。
国民の平均寿命は男性48歳、女性50歳。1歳児未満乳児死亡率1000人中102人、5歳未満、1000人中194人で未だ多くの子供たちが命を落としています。出生数は平均5人程度。無医村がほとんどで診療所、看護師や助産師も存在しなく、人々は加持祈祷に頼っている。
現在は年々増えるエイズの予防やマラリアの撲滅が国の重要な政策となっています。
スポンサーリンク
なぜここマリ共和国の秘境の地に日本人が!
そんなマリ共和国、日本とは生活が雲泥の差!!しかし、ここに日本人女性がいらっしゃるとのこと!
日本での数千万円の高収入生活を突然捨て、ナゼかアフリカ奥地の秘境の村へたった一人で渡った女性。テロリストも潜む危険なマリ共和国で、不思議な事に村人たちに非常に慕われ愛されている。とても78歳とは思えない明るい肝っ玉キャラ。彼女が歩くと大勢の村人達がその後にゾロゾロついて歩くほど。それほど慕われるワケは、この国を変える程の彼女の偉業にあった!
果たしてその偉業とは?そしてナゼ彼女は高収入を捨てマリへ?
スポンサーリンク
村上一枝さんのwiki風
その女性とは 村上一枝 さん
まずはプロフィールから
1940年生まれ
出身地:東京都
元歯科医。
1989年に歯科医をやめ、マリに渡る。
村上さんはにマリ共和国に1989年から日本の植林NGOスタッフとして活動を始める。
翌90年にはマリのローカルNGOに加わり農村医療を実践し、93年からは農村自立協力の為のNGOを独自に設立した。以降、世界の最貧国の一つであるマリ共和国の農村自立のために働いて来た。93年にマリ人助産婦と村に住み込んで始めた活動は、現在約100ヶ村、住民約40,000人が受益の対象となっている。また、NPO法人西アフリカ農村自立協力会を主宰し、会員約400名と共にアフリカでの経験を国内に還元する地道な努力を続けている。
村上さんは、新潟市内で開業していた歯科医院を閉じて、人生の後半をサヘルの人々と共に生きる決心をした。マリ共和国の農村の女性は子供の時から水汲みや薪拾い、家畜の世話、子守など過酷な労働を強いられ、結婚してからは高い妊婦死亡率、乳幼児死亡の危険に晒されている。これらの人々を目の前に、村上さんは私財を投じ、退路を断ってアフリカ定住のボランティアに転身した。
活動の特徴は、女性の視点からのきめ細やかな心遣いである。深井戸を掘り清浄な水を確保する。野菜や果樹を栽培し、緑を増やしながら現金収入を増やす。寄生虫駆除やマラリア予防を行う。文字を教える。改良かまどや製粉所を設ける。そして、これら活動に必要な人材を村の中から育成する。特に村の女性の意識変化は、夫や子供に影響を与え、男性中心の伝統的村落社会に自立意識の変化を与えている。
今日、砂漠化は、100カ国以上10億人を超える人々の生活を脅かしているといわれている。どのような砂漠化防止対策も、地域に住む住民一人ひとりが、自立安定した生活を作り出す意欲を自ら持たなければ成り立たないと思われる。村上さんは灼熱のサハラ砂漠の南端において、自らも度々マラリアに倒れながら、サヘルの村人の明日の幸せのために人生を賭け活動を続けている。
それにしてもこんな日本から遠くから離れたアフリカという土地でのために移り住むとはすごすぎます!
ノーベル賞に値するほどのすごいかた!
しかも、年齢が78歳でここまでできるとはお元気すぎる!!
これからも遠いマリの地でのためにがんばっていただきたいですね!