吉岡和也は辰吉丈一郎がアマチュア時代勝てなかった唯一の天才。その敗戦にあった秘話とは【消えた天才】

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吉岡和也は辰吉丈一郎にアマチュア時代唯一勝った天才。その敗戦にあった秘話とは【消えた天才】

天才ボクサー辰吉丈一郎とは

辰吉丈一郎といえば、「浪速のジョー」。

伝説がありすぎてなかなか一口では語れないすごいボクサーですが、第50代日本バンダム級、元WBC世界バンダム級王者です。

1970年5月15日生まれ。岡山県の倉敷市出身。

生後間もなく両親が離婚し、父親に男手一つで育てられる。幼少時よりボクシングを仕込まれる。

中学校時代は札付きのワルだが、3年間皆勤賞という真面目な?部分もあるという(笑)

そして、中学卒業後に大阪の帝拳ジムに入門します。

サウナや立ち食いうどん、かまぼこ屋でバイトしながらボクシングに打ち込んでいったといいます。

本格的にボクシングを始めてわずか3回目のスパーリングで国体2位の選手を左ボディーブロー一発で倒したことにより辰吉選手はボクサーとして世間の注目を集めます。

元世界王者の渡辺二郎選手とスパークリングをした時も内容は辰吉が防戦に回ることが多かったといえ、最後には渡辺に鼻血を出させるまでのパンチをあてることに成功していました。

辰吉選手のアマチュア戦績は19戦で18勝(18KO・RSC)1敗です。

18勝がすべてKO・RSCというのはすごい記録なのですが、実はこの1敗という記録が辰吉選手に様々なことを巻き起こした事件だったのです。

辰吉選手はKOへの強いこだわりのある選手でした。KOを狙わなければボクシングではないとまで思っていました。

1987年、17歳で全日本社会人選手権バンダム級優勝。ソウルオリンピックの有力候補でした。

しかし、体調不良により予選で敗退したのです。

この時に戦った選手がアマチュア時代唯一1敗という苦い思い出をなめさせられた選手なのです。

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吉岡和也というボクサーが消えた天才

実は辰吉選手はアマチュアでデビューしてからなにか違和感を覚えていました。

アマチュアのルールには疑問がありました。3ラウンドを戦ってポイント・アウトすれば勝者になれる。

倒しにくいパンチよりも堅実に手数を当てる。正確にパンチをあてるという技術のほうがポイントでは有効になる。

だから、判定での勝利を狙った戦い方をする選手が多い。

それは辰吉の考えているKOで勝つのがボクシングというのとはすこしかけ離れていたのです。

先に書いた17藍の時の全日本社会人選手権の時ですが、辰吉のボクシングセンスはすごいけど、キャリアが浅いうえにまだ若いので、全国の舞台で優勝するのは無理ではないかという噂もありましたが、4戦すべてをKOという圧倒的な強さでチャンピオンになったのです。

この大会で辰吉選手はアマチュアへの未練がなくなりプロに転向して世界チャンピオンを目指そうと意気込んでいましたが、当時の大阪帝拳ジムの会長が、このジムからオリンピック代表選手を輩出したいという思いがあって、メダリストがでれば。。と思っていたのです。

辰吉選手の18戦18勝は瞬く間に話題になってスター選手として名前がひろがっていきました。

吉井会長は辰吉をオリンピック日本代表に育てようという計画をたてました。

オリンピックの後にプロになればいいと。。

大阪帝拳は辰吉選手をオリンピック予選にエントリー。

しかし、辰吉は悩みんでいたことがあったのです。

そしてその悩みが彼に迷いを生じさせ、そしてその予選の当日、辰吉選手は38度の熱を出してしまうのです。

その時に戦ったのが法政大学の吉岡和也選手でした。

僅差でしたが判定で負けてしまいます。

その吉岡選手のプロフィールなどを調べましたが、ほとんど情報がないので、もしかしたら大学時代のボクシングのあとは選手をやめてしまっているのかもせれません。

消えた天才ではこの吉岡選手に迫ってくれるらしいのでそれは楽しみです。

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辰吉選手の迷い

辰吉選手がアマチュア時代に抱いていた迷いとは、

アマチュアはお金にならない。

当時岡山には病気になった父を一人残してきていたのです。一日でも早く、仕送りしてあげられるようになりたい。父親のためにも稼ぎたい。

そんな風にずっと思っていたので、早くプロとして一人前になりたいと思っていたのです。

ですから、全日本社会人選手権で優勝した後は当然プロの道にすすめると思っていたのです。

それがオリンピックの話になっていき、辰吉選手のなかでは、オリンピックの代表になれば何十万という金銭的負担を強いられることになる。

父親は病気で働けない、父親には頼れない、父親にはボクシングで出世すると出てきたので、これは世界チャンピオンになることが出世だと考えていた。

はやく父親を楽にさせてあげなければ。。

などと考え、全日本選手権で勝ち続けるとオリンピックに出場しなくてはならない、どうしたらいいのかと悩んでいました。

そして、「負ければいい」という考えが頭に浮かんでしまったのです。

いや、でも戦歴に傷をつけたくない。。

いや、勝とう!そしてオリンピックの出場権を放棄しようと考えるようになりました。

そんな中の全日本選手権。

身体がおかしくなってしまい、熱でふらふらになってしまったのだ。

そして敗北。

これが辰吉丈一郎選手のアマチュアで唯一負けた記録として残ってしまったのでした。

このあと、辰吉選手はショックのあまり大阪帝拳ジムをやめて、ふらふらと半年ほどホームレスのような生活をしていたのです。

そんななか偶然立ち寄った喫茶店で今の夫人と知り合い、そこから立ち直ったのでした。

そしてそその後、プロに転向し、日本王者、世界王者になったのです。

今日の消えた天才では辰吉選手のインタビューもあるので楽しみですね!

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