井村久美子は末續慎吾を走り幅跳びから競技転向させた天才美女アスリート!旧姓は池田久美子。【消えた天才】

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井村久美子が末續慎吾を走り幅跳びから競技転向させた美女アスリート!旧姓は池田久美子。【消えた天才】

末續慎吾は小学生時代走り幅跳びの選手だった!

200mの日本記録保持者・末續慎吾。


そんな末續は小学生時代、全国大会で活躍する走り幅跳びの選手だったのです。

しかし、同じ小学生の天才少女アスリートの跳躍を見たことで、走り幅跳びの道を諦め、短距離へ競技転向したのです!
その天才少女は、学生記録などを次々と更新し、日本記録も樹立!
しかしその後、記録は一気に低迷し突如絶不調に…一体、何があったのでしょうか!?

今日の消えた天才で特集される天才美女アスリートとは!!

彼女の陸上人生と日本記録を出した後に天才を突如襲った悲劇…さらに、どん底に落ちた天才が奇跡の復活を遂げた裏にあった亡き親友との感動秘話を調べてみました。

どん底の天才を救ったのは、今なお日本陸上界で語り継がれる、奇跡の物語です!

それではその美女アスリートに迫ります。

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井村久美子(旧姓:池田久美子)天才美女アスリートのwiki風

日本最速・末續慎吾が完敗したのは、天才美女アスリートの井村久美子さんです!

もともと池田久美子さんですが、ご結婚されて井村久美子さんとなっています。

井村久美子

生年月日:1981年1月10日生まれ。

出身地:山形県出身。

小学校2年生から陸上を始め、小学校5年生で走り幅跳4m46をマーク。

6年生では5m18という記録を残し「天才少女」として話題を集めます。

中学に進学後は12歳年齢別世界記録となる5m97を記録し、全国中学生体育大会3連覇の偉業を成し遂げます。

井村さんは小学生の時はとてもシャイな性格で、授業中手をあげるのも恥ずかしく、みんなの注目を浴びるだけで顔が真っ赤になる女の子だったそうです。

そんな久美子さんが両親から教わった“楽しいこと”が陸上でした。祖父も両親も陸上競技の選手だったので、その影響でよく走ったり跳んだりして遊んでいたそうです。

そのうちに段々とお父さんが熱心に教えてくれるようになり、久美子さんがちょっと跳べたりすると「お前は天才だ」とか褒めてくれて、褒められるのが嬉しくて、小学校時代はお父さんがコーチをしていた「スポーツ少年団」というチームに入り、頑張っていくうちに陸上にのめり込んでいったのです。

当時を振り返れば、小学校時代からどんどん記録を伸ばせたのは、いつも励まし、支えてくれたお父さんの言葉や存在が大きかったといいます。

中学に入学して陸上部に入りましたが、そこでもやはりお父さんが指導をしていましたから、久美子さん自身も安心して陸上に打ち込めました。

中学に入ってからは12歳年齢別世界記録となる5m97を記録し、全国中学生体育大会3連覇の偉業を成し遂げます。

また3年生時には走幅跳、100mハードル、100mジュニアハードルで日本中学生記録を樹立するなどめざましい活躍をみせます。

高校は、日本大学山形高校へ進学しますが、父の仙台育英高校コーチ就任とともに同校へ転校。

日本大学山形高校に進学してからは、長いスランプの始まりでした。学校生活は友だちもたくさんいて楽しかったし、いろんな大会に出場して経験もしましたが、記録は伸びなかった。

原因のひとつには、中学から高校に進学して体重が15kgも増えてしまったのです。

競技に対する意欲もわかなくなり、年頃ですから、太ってしまったことに落ち込んだりもして。

普通の高校生のようにおしゃれしたり遊んだりしたい自分と、競技に打ち込みたい自分の間にジレンマもあって、辞めたいと思うこともあるような時期でした。
また、高校1年の時にアトランタオリンピックの選考会で落ちたことをひきずってしまったのです。

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そして福島大学に進学

高校時代は記録が伸び悩みましたが、福島大学に進学し2年時に出場した世界ジュニア選手権では6m43の日本ジュニア記録で銅メダルを獲得、100mハードルでも自己記録を更新し復活。その後、国内大会はもとより世界大会にも連続出場するなど活躍していくのです。

減量に成功したこともあり、記録を出せたのが大学2年の時でした。そして3年の時には当時の日本記録を出すことができました。

2006年大阪グランプリでは6m86の日本新記録で優勝、アジア大会では6m81で金メダルを獲得しました。

日本記録を出した後に天才を突如悲劇が襲うのです。。…

順調に陸上に打ち込んでいた久美子さんですが、久美子さんの親友が恐ろしい病にかかってしまったのです。

その親友というのは女子砲丸投げ日本記録保持者の森千夏選手です。

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森千夏選手の病、、そして、、

森千夏

森千夏選手は陸上、女子砲丸投げ日本記録保持者で、日本記録を7回も更新し、世界と大きくかけ離れていた砲丸投げを世界レベルに押し上げ、1964年東京オリンピック以来、40年ぶりにオリンピックに出場するなど砲丸投げのレベルアップに大きく貢献した選手です。

アテネオリンピック代表決定直後から体調に異変を感じはじめ、満足な練習ができないままオリンピック本番を迎え、予選落ちとなってしまいます。

帰国後入院し、膀胱炎と診断されますが、そのあと極度の体調不良により、入退院を繰り返します。

彼女は虫垂がんに冒されていたのです。。虫垂がんは症例が少なく、森さんの希望した治療が保険適用外で莫大な治療費がかかるので、母校の東京高校や日本陸上連盟が募金活動に乗り出し、選手仲間の久美子さんや為末大選手、阪神タイガースの下柳投手など支援を呼び掛けていました。

しかし、そんな友人たちの努力も虚しく2006年の8月9日に東京都内の病院で亡くなってしまったのです。

森選手は、スズキ自動車に所属していましたが井村選手も同じスズキだったため、二人の親交は厚かったのです。。

森選手が日本の陸上界に残した実績というものはほんとうにすごかったらしく、多くの選手に惜しまれたということです。

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井村久美子選手のその後。。。イムラアスリートアカデミー

あまり知られていなかった井村選手と森千夏選手ですが、今夜の消えた天才で井村選手が語ってくれるのではないでしょうか。

井村選手は森選手のお葬式の時に為永選手と弔辞を読んだそうです。

「久美ちゃん泣かないでねって言っていそう。でも森ちゃんがいないからさみしいよ。北京オリンピックでは私と森ちゃんの二人で絶対にメダル取る約束したよね。北京では私が森ちゃんの分までメダルを獲って、墓前に報告できるようにがんばるから。」と述べたそうです。

このあと、井村選手は北京オリンピックに出場したものの予選で敗退してしまって約束はかなわなかったようです。

しかし、井村選手が長いスランプの中から北京オリンピックにでれたことはすごいことだと思います。

そして、井村選手はコーチだった井村俊雄さんと2008年に結婚されます。

井村俊雄コーチは中学の時から棒高跳びの選手として陸上界で活躍されていました。

現在はジュニア世代に陸上を教えるために「イムラアスリートアカデミー」を設立し、講師としての活動をご夫婦でされてるようです。

ずっと陸上に関わるお仕事をしていくのですね!!

そんな井村選手の「消えた天才」の放送が楽しみですね!

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